僕が20代にどうやって自由になったか〜その2〜ライフトラベラーたち〜

〜この文章はmixiに2007年4月に書いたものの転載です〜

 

人生初の一人旅は大阪発上海行きの片道切符

 

2003年大学生だった僕は就職の内定が出たあとアジアに旅に出た。

12万円の所持金、大阪発上海行きの片道フェリー。

これは「12万円で世界を歩く」という本の影響で、前から1回やってみたかっただけ。

で、一人旅なんかしたことないへたれやったけど、今いかな一生いかれへんしと思い覚悟をきめた。

 

きったないザックを連れに借りて、フェリーに飛び乗った。

フェリーの中でイセさんという人に会った。
彼は中国の重慶のめしやで働いていて、中国に店をもちたいと言っていた。
単身で行ってただ働きから始めたらしい。シブイ。

中国語もうまい。上海ホステス相手にベラベラしゃべって、
「ほら、あいつらオレが北京人だって言ったら本気にしてるよ」

ベトナムのホーチミンで出会ったイトウさん。
この人は絶対におかしい。
英語はしゃべる。これはわかる。

で、韓国語もいけるらしい。
南米にいったことがあるのでスペイン語も話す。
で、いっしょにイタリア料理屋とか入る。

じゃあ

イタリア語で注文してんねん!

何リンガルやねんっていう感じ。
なぞすぎ。
で、メキシコで誘拐されて殺されかけたらしい。
「僕の命はあそこで終わってる」
ってことあるごとに言う。
今からカンボジアにある、別荘にいくらしい。

 

アンコールの街、シェムリアップで出会った、エミねえ。
バリ島でライターをしながら食っているらしい。
英語がぺらぺらで、トークがめちゃくちゃわらける。
今考えたら「すべらない話」何個持ってんの?って感じ。
日本でOLをしている友達はみんなエミねえのことを「羨ましい」というんだって。

 

おれはあほ面で聞いた。

 

「OLの友達羨ましいと思います?」

 

「ゼンゼン」

 

・・・

 

バンコクでは、電波少年の、「アンコールワットへの道」に出ていたという石ゴン。
どっから来たんですか?
「ブラジル。世界一周してきた。」

 

あと、石ゴンが「センセイ」って呼ぶ、メガネの兄ちゃんがいた。
見た目高校生。
でも正体はバンコクの風俗事情を全て知り尽くした男。
タイ語完全マスター。シモネタ中心にね。
もちろん即スチューデントになった。即入学。
何か先月モーリタニアの首都ヌアクショットに行ってて、何でもそこでクーデターが起きて、
命からがら逃げてきたって。どんな話やねん。

 

インドで出会った、コウジさん。
インドでテンガロンハット被ってるひと初めてみた。
僕を見て「日本人おった~!」と握手を求めてきた。
彼は世界一周中で、エジプトから飛んできたって。
イスラエルで鉄パイプ持った奴らに囲まれた話とかしてくれる。
「っつーか暑いなあ」って着替えてるその背中には
ゴージャスな昇り龍が・・・。
あほやから聞いてみる。
「それなんですのん。」
「若い頃は、いろいろ。。オレは日本でショービジネスをやるんだ。だから世界を見る。地球の歩き方に載ってる建造物ゼンブ見る」とかいっていた。

 

旅の終わり

 

素晴らしい日々だった。
あんなにおもしろい旅はこれからももうないだろう。

 

そんな充実感の中、僕はカトマンズのカフェでチャイを飲みながらふと考えた。

 

さあ、おれはこの旅行が終われば、就職。

 

・・就職?

 

旅行者は大きく二つに分けれると思う。

 

バックパッカー

 

OR

 

ツアー旅行者

 

バックパッカーはツアー旅行者に対して、へんな優越感をもっている。
っつーかおれもあった。
絶対こっちの方がおもろいって。
こっちの方が自由やし、
ネタ満載やし、
おもしろい奴らに会えるし。
おれは旅行中、バックパッカーな自分に酔っていた。

 

でも、
ジンセイという旅でいうと
オレはどっちだ??

 

・・・・

 

旅では個人旅行者としていい気になってたのに、
結局帰ったらおれもツアー旅行者になるんやな・・。

 

この時のがっくり具合ときたら半端じゃなかった。
人生終わったような感じだった。

 

こっから会社員としてレールの上を行くんだなあ。

 

ショービシネスをたちあげるために旅にきている、コウジさんや
ライターで生計を立てる、えみねえ
彼らみたいにかっこよくなりたいなあ・・。

 

彼らは僕にとって理想の大人だった。
社会のワクや常識にとらわれず、っつーかワクとかぶち破って、
自分のハートに忠実に、
やばいピンチやトラブルも笑いながら乗り越えて、次の日にはネタにしている。
ユメを語るんじゃなくて、ユメをいまやっている奴ら。
安定を捨て、普通に生きることをあきらめたひとたち。

 

それがぼくが出会ったジンセイの個人旅行者だった。

 

僕はそんな大人を目指したかったし、そんな道を歩きたかった。。

 

でもどうすることも出来ない。
1年前おれはサラリーマンになることを自分で決めたんやから。

 

だいたい他に道なんてないやろ?
ていうかこれは就職ブルーって奴なんかも知らん・・

 

そんなこんなで、僕はシンシャカイ人として、2004年の4月を迎えた。

 

 

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