僕が20代にどうやって自由になったか〜その3〜夢のドロップアウト〜

〜この文章はmixiに2007年4月に書いたものの転載です〜

 

就職

 

そんな中で就職した。

 

自分で決めた会社だったが、内定が出てからの10ヶ月で価値観が変わってしまったのだ。
僕はずっと辞めようと思っていたが
辞めてどうする?
バイトをしてまた旅に出るんか?
じゃあ一生就職はしないのか?

でも、就職したくない。
それって怠け心だけなんじゃないの?
学生の甘さだろ?

 

桜の季節、こんな葛藤を僕は生きていた。

 

そこで出した結論。

 

・・とりあえず1年間やろう。しかも死ぬ気で・・・
これを決めた。
逃げで辞めるのか、好きでドロップアウトをするのか自分自身で確かめるために1年間やりきろうと決めた。

 

それからは馬車馬のように働いた。
当時の社員は皆そうだったと思うが、24時間仕事のことを考えていた。
お店の利益にも貢献していたし、仕事のおもしろさみたいなものも自分なりに見つけていた。

 

でも僕は、時々我に帰っていた。
カイシャの上のほうを見ても理想の大人はいなかった。
だから、このまま3年5年経ってもぼくは、旅で出会ったあんな風な人たちには絶対なれないと気づいていた。

 

仕事はやっていきたい。
ビジネスマンになって海外を飛び回りたい。でかい商談とかやってみたい。
・・でも、旅ができない人生はいやだ。何か損してる気がする。

 

旅に出たい。

旅人になって世界一周もしたいし、シルクロードやチベットもいってみたい。
・・でも、おっさんになって貧乏はいやだ。40歳で派遣バイトとかありえへん。

 

要するに選択する覚悟がなかったのだ。

そんなとき、僕は1冊の本に出会った。
その本では、小さいおっさんが35歳でビジネスをセミリタイアして、ハワイで大好きなサーフィンをしているという内容だった。
衝撃を受けた。
内容が経営的で数字に基づいていて、長期的な考え方で本質をついていた。

 

ぼくにとってこれは「12万円で世界を歩く」のビジネス版だったのかもしれない。
くもりガラスが晴れたような感じだった。
そしてこう考えた。

 

旅人とビジネスマン、両立出来るんちゃうか??

 

そんな中、入社1年が経った2005年3月、へたくそな字で退職願を書き、カイシャを辞めた。

 

フリーター

 

とりあえずオーストラリアに行こうと決めていた。
いわゆるワーホリ。
理由は、旅で出会った人たちがオーストラリアのワーホリの話をしてくれる人が多かったから。
辞めた時点で貯金は10万しかなかった。

 

行く日を2ヵ月後に決めて、

 

そっからヨドバシカメラやら派遣、工場、治験あらゆることをやって金を作った。
この時期ぼくは労働をする中、本当に惨めだった。

 

なんでこんなきついことをしてるんだ。
なんでこんなあほなやつに怒られなあかんのだ?
おれは世の中で価値がないのか?

 

でもハッと
どっかの本に書いてた公式を思い出した。

 

「あなたがもらう報酬=人の役に立った分」

 

僕が世の中に差し出せるものは「労働力」しかなかったのだ。
会社という環境も失った今は。

 

で、ベルトコンベアの作業の中で、僕は心に誓った。

 

「オレは頭で世間に貢献しよう。それを磨いてそこで稼ごう」
工場のバイトなんてしたくない。
頭の悪いやつに使われたくない。
そして、オーストラリアに行き、ぱっとしない旅を終え、帰国した。

 
 

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